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成長と共に求められるレベルも上がる
こつぶさんも、少しずつ、着実に成長しています。
そしてここの所、適切と思われるコミュニケーションのレベルがグンと上がってきたように感じる。
「わ~~~すごい~~~~!!!」
だけじゃ物足りなさそうで、
「うんうんうんうん…ん~?うんうんなるほどお~(何も分かってない)」
だと怒られる。
「〇〇がこんな風になっていて、とっても素敵」
「ここの部分、すっごく面白いね、どうやってしたの?」
と「凄いね」の中身を分解して具体的に返すと、彼女の表情はとても満足げです。
拙い言葉であれやこれやと一生懸命説明してくれる。
大人の表情や反応をよく見ているなあと感心します。
自分でやりたい事がたくさん。できない事もたくさん。
「自分でやれそうだ」と判断した事はとにかくやろうとします。
親としてはなるべくそれを止めないで見守りたいけど、ついつい、声掛けや手が出ちゃうことがあるから反省することも多い。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
とはかの山本五十六の言葉。
この「させてみせ」の部分が、本当に難しい。
見守るという事の難しさをひしひしと感じています。
そして「できる」と思った事ができなかった時の衝撃の大きさを大人になってしまった私はもう忘れてしまっていて。
「そんな事で」と出てきてしまいそうになる言葉をグッと飲み込んで「とにかくやらせろ、やらせてみろ」と自分自身に言い聞かせています。
私の幼い頃の記憶
私が幼い頃の記憶で、些細なのに今でも思い出す事があって。
祖父母の家は高台にあって、庭に出ると塀の向こうがお隣さんの屋根だったんです。
小学校低学年の頃の私は忍者に憧れていて(何で憧れていたのか今でもよく分からない)、塀から屋根に飛び移ってみたかった。
塀は低いし塀と屋根との距離も大してなかった。たぶん、私の身長よりも短い距離だった。
だから、えいやっといけば、多分きっと、屋根に飛び移れたと思う。
でも私はえおの「えいやっ」が怖くて、どうしてもできなかった。
今考えても危なすぎるし、命に危険が及ぶ行為なので絶対しちゃ駄目な事で、そこで実際に行動に移さなかった私は理性的だし正しいんだけれど、その時の私は幼いながらに「私はこうやって色んなことにチャレンジできないのかもしれない」と漠然と思ったことを強烈に覚えています。
で、実際大人になってどうかというと、やっぱりチャレンジする事に二の足三の足を踏んできた。
最近ようやっと「まずやってみようよ、それからだよ」と自分に言えるようになってきた。
それはやっぱり、何度もチャレンジしては失敗してびえーーーん!となってるこつぶの姿を見ているからと思います。
教えるより学ばせてもらう事の方が多いなと思う今日この頃です。
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