たまには、第三者になるのも大事なのかも。

また始まった
彼女がとても大きくて怖い存在に見える時
でも、私以外の誰かといる時の姿はとてもとても小さい
自分が第三者になって見えてくるもの
でも私はこの子の親だもの
教えてくれるもの君

こつぶ3歳、自我バリバリ。

自我が出てきたこつぶ氏。

洋服、髪型、ヘアゴム、その日使うもの全て彼女のこだわりが出てくるようになりました。
寒い日でも「半袖がいい!」と言う(それはやめて)。

階段だって、今まで抱っこをせがんでいたけど最近は手を払いのけられる。
でも、エスカレーターはまだ怖い。

2歳の時のこだわりとも違う、「私がする!決める!できる!」の気持ち。
それでもできない時の悔しさや苛立つ気持ち。

彼女自身もその差に困惑しているような瞬間を度々見かけるようになりました。

かーちゃんだって人間だもの

そんな自我の芽生えを嬉しく思う時もあれば、理由の分からない癇癪に気が滅入ってしまう事も。

明確に「〇〇をしてほしい」が彼女の中にしっかりある。
けど、それを上手く分かってあげられない。
そうなるとこつぶ、大爆発。

「ちがうの!!!!」

てな感じで。

そうなると暫くは手がつけられない。
泣き喚いて今まで作っていたものも全部壊して、ひたすら泣く。
こちらの声も届かない。

あまりにも続くので、一時期「ちがう!」と言われるだけで動悸が激しくなっていました。

君のお母さんだけど、分からない事だってあるもの。
君のお母さんだけど、今私がやりたい事だってあるもの。
君のお母さんだけど、全部受け止めてあげられない時だってあるもの。

心の中で小さく反論しては「世のお母さんはそんな事思わないんじゃないか」って凹んだり。
堪らずこちらも大声を出して、後から「あんなに声を荒げるような事もなかった」と凹んだり。

あー私、親向いてない…

何度だってそう思っていました。いや今もだけど。

私以外の誰かといる彼女は、とっても小さい。

普段、こつぶと二人きりで過ごすことが多いです。

児童館に行っても公園に行っても、誰かはいるけどこつぶが私以外の大人と二人でいる事はない。
だから偶に夫や母と遊んでいるこつぶの姿を見るとびっくりする。

あ、あんなに小っちゃいの…!?

って。

当たり前の事なんだろうけど、びっくりするくらい小さいんですよね。
二人きりで癇癪起こされた時はあんなに大きく見えるのに。

私はあんなに小さくてか弱い存在にイライラしたり、時には大声を出してしまったりしているのか。

びっくりした後、落ち込むことも度々。

たまには蚊帳の外に立ってみる

怒る事が必ずしも悪い事だとは思っていない。

母親である前に人だから、イライラする事だってあるし投げ出したくなる事だってあっていいと思う。

でも、彼女を間違った色眼鏡をかけて見ないように気を付けたい。
一番近くにいるからこそ、その存在感の大きさを間違った方向に受け取らないよう気を付けたい。

彼女は確かに怪獣だけど、小さくて、素直で、自分でできる事はたくさんあるけどできない事もたくさんある。

私がそんな当たり前のことに気づくためには、たまには第三者になって、俯瞰することが必要なんだろうなと思います。

そうするとちょっと冷静になって、

あーーかわいい!って、自他ともに認める親バカな私に戻れる気がします。

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